陳書卷十五 列傳第九 陳詳

出家から立功

  • 陳詳、字は文㡬。少くして出家し桑門となり書記・談論に善く清雅であった。高祖が侯景討伐の際、詳を召し還俗させ兵馬を配し京邑平定に従わせた。高祖の東征で杜龕討伐に際し、詳は自ら安吉・原郷・故鄣の三県を降し、龕平定の功で散騎侍郎・假節・雄信將軍・青州刺史・廣梁太守に叙され、故鄣・廣徳を割いて広梁郡とし詳を太守とした。高祖踐阼後、廣梁を陳留と改め詳を陳留太守とし、永定二年、遂興縣侯(邑五百戸)に封ぜられ、その年、明威將軍・通直散騎常侍。三年、矦安都に従い王琳の将常衆愛を宮亭湖で破る。

周迪討伐と戦死

  • 世祖嗣位後、宣城太守・將軍如故。王琳が柵口に拠ると詳は呉明徹に従い湓城を襲い琳の家口を奪ったが克てず、南湖から鄱陽の歩道を経て帰った。琳平定後、詳と明徹は共に功なし。天嘉元年、例に随い増邑し前と併せ一千五百戸、通直散騎常侍・兼右衛將軍。三年、假節都督呉州諸軍事・仁威將軍・呉州刺史に出る。周迪が臨川に拠り挙兵すると詳は州から他道より濡城の迪を襲いその妻子を得たが、迪は敗走。詳は本鎮に還る。五年、周迪が再び臨川で挙兵すると詳は都督として水歩を率い討伐、軍は南城に至り賊と遇い戦死した。時に年四十二。統率の失律により贈諡なし。子の陳正理が嗣いだ。