隋唐演義第一〇〇回 西内に遷し父子の情を離間し、鴻都に人を遣わし隋唐の事を証し結ぶ (遷西內離間父子情 遣鴻都結證隋唐事)
西内への遷居
(詞:小人と女子が相次いで現れ天家の父子の情を乱すこと、晩年の寂寥と前世の因縁を仙翁に問う様を詠む)
作者は、帝王の孝行は常人と異なり嫌隙を生みやすいものだが、それは多くの場合、皇后の驕慢や宦官の専横による離間のせいだと前置きする。梅妃の死後、上皇はますます寂寥を深め、皇后張氏の不敬な態度と宦官李輔国の専横を粛宗に諭したが、これが李輔国・張皇后の恨みを買う結果となった。二人は結託して高力士を遠ざけ、上皇を興慶宮から人目につきにくい西内へ移そうと画策する。
粛宗の病に乗じて李輔国は偽勅を発し、武装した兵を率いて上皇を強引に西内へ移した。高力士の一喝で辛うじて威圧的な陣立ては解かれたが、上皇は深く落胆する。李輔国は粛宗にも取り成しを図り、事態は追認される形となった。
高力士の失脚
その後、張皇后・李輔国は高力士を讒言によって巫州へ流罪とし、上皇の側から遠ざけてしまう。高力士は上皇崩御の報を聞いて悲嘆のあまり血を吐いて死んだと伝えられる。
遺品を巡る追憶
上皇の元には旧知の伶人(謝阿蛮、賀懐智ら)が時折訪れ、楊貴妃ゆかりの玉の腕輪や、貴妃の移り香が残る頭巾などを献じ、上皇はその都度往時を偲んで涙した。
鴻都道士・楊通幽の幽冥探訪
方士の楊通幽(鴻都道士)が召され、亡き楊貴妃・梅妃の魂を訪ねる術を行う。白鸚鵡に導かれて訪れた仙界「蕊珠宮」で出会った仙女(郭子儀の娘の後身である河伯夫人ら)から、梅妃は既に仙籍に戻り会えないが、楊貴妃はまだ地獄に近い場所に留まっていることを知らされる。
さらに張果・葉法善・羅公遠の三仙から、上皇と楊貴妃・梅妃の前世の因縁が語られる。上皇は本来「元始孔升真人」という仙人であったが、蕊珠宮の仙女と戯れに笑いを交わした罪で人間界に落とされ、隋代には忠義を尽くして殉節した女性「朱貴児」として生まれ、その功徳と隋煬帝との前世の誓いにより唐の天子(玄宗)に転生したという。煬帝は元は終南山の妖鼠であり、後に楊貴妃として生まれ変わり、悪行を重ねた報いで白布による絞死という同じ最期を迎える定めにあったとされる。梅妃もまた蕊珠宮の仙女の生まれ変わりで、隋代・唐代の二度の転生を経て、忠節を尽くしたことで仙籍に復帰したという。
通幽は最終的に楊貴妃本人にも面会し、二人だけの誓い(長生殿の一件)を証拠として託される。地獄に堕ちた武后・韋后・太平公主・安楽公主ら悪女たちの因果応報も語られる。通幽はこれらの事実の大半を伏せ、上皇には慰めとなる部分のみを奏上した(作者は、白居易の「長恨歌」がこの通幽の作り話を基にしたものであり、実際とは異なると付言する)。
上皇と粛宗の崩御
上皇は俗事を離れて修行に専念するようになり、寶応元年、夢に三仙が現れて修行の完成と本来の仙籍への復帰を告げたのを機に、安らかに崩御した。粛宗も病中にこの報を聞いて悲しみ、程なくして後を追うように崩御した。張皇后の廃立の企ては李輔国によって阻止され(張皇后は殺され)、太子が代宗として即位した。李輔国はその後増長したが、最終的には代宗の意を受けた刺客に討たれた。安史の乱の残党も代宗の広德年間に至ってようやく平定された。
評語
作者は末尾で、本作が隋煬帝と唐玄宗という二代の天子の因果応報を軸に据えた物語であったことを総括し、興亡の理を仙界の視点から語ることで、輪廻応報の教訓として読者に示す意図を明らかにしている。