隋唐演義第九十九回 反側の徒を赦し君は臣の恩を思い、前世の縁は尽き人は花とともに散る (赦反側君念臣恩  了前緣人同花謝)

降賊官員の処分と張氏兄弟

(詞:天子の恩は法の外にも及び、生死ともに配慮が及ぶこと、梅花の凋落と佳人の死を重ねて詠む)

粛宗は西京奪還後、降賊した官員の処分を進める中、亡き功臣張説の子である張均・張垍だけは特別に助命しようとした。その理由として、粛宗の出生にまつわる秘話が語られる。粛宗の母楊良媛が上皇(当時の太子)の子を身籠った際、太平公主の讒言を恐れた上皇は堕胎を図ろうとしたが、張説が安胎薬と堕胎薬をすり替えて胎児(後の粛宗)を守ったという恩義があった。

しかし上皇は「叛臣を軽々しく赦すべきでない」との立場を崩さず、張均は処刑、張垍のみ流罪で赦免となった。

郭子儀の栄達

その後、宦官魚朝恩の指揮の失敗で戦線が乱れる場面もあったが、郭子儀は上皇の擁護もあり功績を認められ続けた。子・郭曖と昇平公主の夫婦喧嘩の逸話(「不痴不聾、做不得阿家翁」)を通じ、郭子儀が終生栄達を保ち八十五歳まで長寿を全うしたことが語られる。

梅妃の死

上皇は李白の才を惜しみつつも既に亡くなっていたことを知り歎息する。梅妃は葉法善から授かった仙梅の花が急に萎れ始めたことを死の予兆と悟り、病に伏す。夢で仙姑から「もはや人間界に長居すべきではない」と告げられたことを語り、上皇に看取られながら安らかに息を引き取った。上皇は貴妃の礼で葬り、自ら誄文を作り、遺言通り仙梅を仏前で焚くと、火花が梅の形をなして空に舞い上がったという。

回末、皇后張氏の驕慢と、それを煽る宦官李輔国の専横が新たな火種として示される。