隋唐演義第八十八回 安禄山は范陽で反乱を起こし、封常清は東京で兵を募る (安祿山范陽造反  封常清東京募兵)

反乱への道

(詞:野心を隠しきれず君恩に背いた安禄山と、それを煽った奸臣の罪を詠む)

君主が奸を忠と見誤り、大臣も私心で動く危うさを説く前置きに続き、玄宗が安禄山の子・安慶宗に書を書かせ入朝を促す顛末が語られる。楊国忠は安禄山が入朝すれば自らの権勢を脅かすと恐れ、その門客李超を陥れて処刑させ、さらに流言を放って安禄山を挑発した。楊貴妃も密書を送ろうとしたが、楊国忠の妨害で叶わず、安禄山は疑心暗鬼に陥った。

挙兵

安禄山は嚴莊・高尚・阿史那承慶ら腹心と密議し、偽の勅書を掲げて「楊国忠討伐」を名目に十五万(号して二十万)の兵を挙げ、天宝十四載十一月、范陽で反乱を起こした。かつて張九齢が安禄山の反相を見抜いていたこと、太子も玄宗の寵愛ぶりに懸念を示していたことが回想される。

安禄山軍は破竹の勢いで河北の州県を席巻し、太原留守楊光翽を謀略で捕らえ処刑した。玄宗はようやく事態を悟り激怒したが、楊国忠は「反逆者は安禄山一人のみ、すぐに鎮圧できる」と楽観的な見通しを述べた。安慶宗は父の反乱により処刑され、妻の榮義郡主も自尽させられた。

封常清の募兵と府兵制の衰退

玄宗は安西節度使封常清を范陽平盧節度使に任じ、東京で募兵させたが、集まったのは戦に不慣れな市井の者たちであった。唐初の府兵制がいかに崩れて募兵に頼らざるを得なくなったか、その経緯(張説の彉騎制、李林甫の折衝府廃止など)が説明される。一方、安禄山軍は突厥の降兵を吸収して精強を誇り、東京へ迫った。事態を重く見た玄宗は自ら親征する意向を示し、太子に監国を命じようとする。