隋唐演義第一回 隋主は挙兵して陳に代わり、晋王は功を立てて嫡子の座を奪う (隋主起兵代陳 晉王樹功奪嫡)
楊堅の出自と隋の建国
- 南北朝の変遷を語り起こす。北周の武将楊堅(幼名那羅延)は弘農華陰の人で、父楊忠の功により隋公に封じられる。誕生時に異相があったと伝わり、幼少期は尼僧に預けられて育った。
- 楊忠の死後、楊堅がその職を継ぎ、周の宣帝の外戚として実権を握る。宣帝の死後、幼帝から禅譲を受ける形で周を奪い、国号を隋、元号を開皇と改めた。
隋の治世と陳の享楽
- 隋主(文帝)は独孤皇后を立て、長子楊勇を太子、次子楊広を晋王に封じる。李徳林・高熲・蘇威ら文臣、楊素・李淵・賀若弼・韓擒虎ら武将を用い、国力を整える。
- 一方、江南の陳では後主・陳叔寶が享楽にふけり、佞臣孔範・江総を重用。寵姫張麗華ら美姫を集め、臨春・結綺・望仙の三閣を築いて連日宴楽に耽り、政務を顧みない。
隋の陳討伐
- 隋主は陳討伐を決意。晋王楊広が自ら出征を願い出る。楊広は独孤皇后の寵愛を得ようとする野心から功名を欲していた(誕生時に金龍の夢があったという逸話にも触れる)。
- 楊広を元帥、楊素を副元帥とし、高熲・李淵を補佐に、韓擒虎・賀若弼を先鋒として、六十万の大軍で水陸から進撃する。
陳の滅亡
- 陳では危急の報が届いても施文慶・沈客卿らが握りつぶし、孔範は「長江の天険は破られない」と楽観論を唱えて軍議を怠る。
- 賀若弼・韓擒虎が長江を渡って進撃、陳軍は総崩れとなる。陳主は酔って対応が遅れ、最後は張貴妃・孔貴嬪と共に景陽宮の井戸に隠れるが、隋兵に発見され引き上げられる。陳は滅亡した。
張麗華・孔貴嬪の処刑
- 晋王は張麗華の美貌を聞き、高熲の子・高徳弘を遣わして召し出そうとするが、高熲と李淵は「亡国の妖婦を留めれば晋王を惑わす」として、麗華と孔貴嬪を処刑してしまう。
- 事の次第を知った晋王は激怒するが、後に思い直し、逆に「二人の恨みを晴らすため、いずれ高熲・李淵を除く」と密かに恨みを抱く。
戦後処理と冼夫人の帰順
- 晋王は建康で陳の佞臣五名(施文慶・沈客卿・陽慧朗・徐哲・暨慧景)を処刑し、孔範らを流罪とする一方、財貨には手をつけず名声を得ようとする。
- 賀若弼・李淵に対する晋王の私怨から讒言があったが、隋主は功績を認めて不問に付す。
- 嶺南では未だ隋に服さぬ地があったが、洗夫人(馮寶の妻)が晋王の書を受けて帰順を決意し、諸州を説いて回り、三十州・百郡・四百県が隋に降った。夫人は宋康郡太夫人に封じられ、八十余歳で没するまで名将として称えられた。
- 晋王は凱旋して太尉に任じられ、楊素・賀若弼・韓擒虎らも功により昇進する。李淵は晋王の私怨により功を認められず不遇のままだが、意に介さない。晋王は威権を増し、野心を募らせていく。独孤皇后と宇文述という内外の後ろ盾を得て、隋主の心中がどう動くかは次回に語られる。