春 郊祀と皇后の冊立
- 春正月、高祖を郊祀して天に配し、文帝を宗祀して上帝に配した。
- 殷紹嘉公を宋公、周承休公を鄭公と改めた。
- 詔した。婦人は自ら法を犯した場合を除き、男子で八十歳以上・十歳以下の者は、家が不道の罪に連座していない限り、詔で召し捕らえられても拘禁を免れる。取り調べを要する者は問い質すだけとする、と。
- 二月丁未、皇后に王氏を立て、天下に赦を行った。
- 太僕の王惲ら八十人を遣わし、副使を置き節を持たせて天下を巡行させ風俗を視察させた。九卿以下六百石に至るまで、および宗室で属籍のある者に爵を等差をつけて賜い、民に爵一級、鰥寡孤独と高齢者に帛を賜った。
宰衡の号と諸事業
- このとき上書した吏民は八千余人に上り、みな、伊尹は阿衡となり周公は太宰となり、その七人の子はみな封ぜられた、と言った。有司もその言のとおりにすべきとした。そこで安漢公の号に加えて宰衡と号し、位は上公とした。
- 莽の母に顕君の号を賜い、食邑二千戸、黄金の印と赤い綬を与えた。子や男子はみな列侯に封じた。
- 太后が自ら前殿に臨み、莽はその後方で拝した。周公の故事に倣ったものである。
- 莽は奏して明堂・辟雍を建て、孝宣の廟を尊んで中宗廟とした。莽は太后の意を喜ばせようとして、郅支を討った功により孝元の廟を尊んで高宗とした。
- 学者のために宿舎を一万区築き、博士の定員を経ごとに五人ずつ増やした。天下の才能ある者、および小学や特殊な技芸の士を召し、前後に集まった者は数千人に上った。
- 群臣が奏して宰衡の位を諸侯王の上に置いた。
- 初めて西海郡を置き、天下の犯罪者を移住させた。
- このとき莽は多くの金帛を持たせた使者を遣わして塞外の羌の族長らを誘い、土地を献じて降ることを願い出させた。羌は、太后が聖明で安漢公は至仁であり天下は太平である、近年は羌人にも苦しみがなくなったので内属したい、と言った。莽はこれを踏まえて奏し、東海はあるのに西海がない、羌の献じた地を西海郡にしたい、と言った。
- また匈奴に賄賂を贈って上書させ、中国が二字の名を譏ると聞いたので、囊知牙斯という名を今、知と改め、制作の趣旨に順う、と言わせた。
- 梁立が罪あって漢中に流され、廃されて自殺した。
- 京師を分けて前輝光・後丞烈の二郡を置いた。公卿大夫八十一元士の名称と位の序列、および十二州の名、郡国の所属と境界を改めた。
- 冬、大風が長安城の東門の屋根瓦をほとんど吹き飛ばした。
- 莽が遣わした八人の使者が風俗の巡察から帰り、天下の郡国はどこも斉一であると報告した。偽って郡国のために歌謡を作り功徳を頌え、合わせて三万言に及んだ。さらに奏して、市に二重の値段はなく、官に訴訟はなく、民に盗賊はなく、野に飢えた人はなく、道に落ちているものを拾わず、男女は道を分けて歩き、こぞって太平を実現している、と言った。