平帝の即位と王莽の秉政
- 皇帝が壬寅の日に即位した。九歳。
- 大司徒の孔光を太傅、左将軍の甄豊を少傅、右将軍の馮宮を大司徒とした。
- 太皇太后が朝に臨み、大司馬の王莽が政を執り、百官は自らの職務を束ねて莽の指示を仰いだ。
- 孝成の趙皇后、孝哀の傅皇后はいずれも以前の驕り高ぶりを咎められて廃され、自殺した。
- 莽は、孔光が名高い儒者で三代の主に宰相として仕え、太后が敬い天下が信服している人物であることから、手厚く尊んで仕えた。そして日ごろ気に入らぬ者については、みなその罪を仕立てさせて孔光に奏請させた。光は上奏しないわけにいかず、莽は太后に取り次いでその奏をすべて許させ、いずれも免官して遠方へ流した。
- 平阿侯の仁は莽の従父の兄で、公正で直言する人物であった。紅陽侯の立は莽の叔父である。莽は自分を害されることを恐れ、さりげなく太后に申し上げて、いずれも封国へ退かせるよう奏上した。
- こうして自分に従う者はみな抜擢し、逆らって恨む者は誅滅した。
- 王邑を腹心とし、甄邯と甄豊が裁決を主り、平晏が機密の事務を掌り、劉歆が文章を主り、孫建を爪牙とした。甄豊の子の尋、劉歆の子の棻、涿郡の崔発、南陽の陳崇はいずれも才能をたたえられて莽の寵を得、そろって要職にあった。
- 莽は表情を厳しくし言葉を四角ばらせ、何かをしようとするときはそれとなく気配を見せた。取り巻きが意を汲んで表立ってそれを奏上し、莽はそのうえで固く辞退してやむを得ず受けるという体を装った。上は太后を欺き、下は民衆の信を得たのである。