前漢紀前漢孝哀皇帝紀上 綏和二年 前7年

即位と外戚の尊崇

  • 皇帝が丙午の日に即位した。十九歳。
  • 五月、皇后に傅氏を立てた。帝の祖母である定陶恭王太后の従弟の娘である。皇后の父の晏を孔郷侯に封じた。
  • 傅太后が尊号を称した。そこで定陶恭王を追尊して恭皇帝とし、傅太后を恭皇太后、帝の生母の丁太后を恭后とし、それぞれに左右の詹事を置き、食邑は長信宮の中官と同格とした。
  • 傅太后の父を追尊して宗徳侯、丁后の父を褒徳侯とした。外舅の丁明を安陽侯に封じ、外舅の子の満を平周侯とし、満の父の忠に懐徳侯の諡を追贈した。
  • 趙太后の弟の欽を新城侯に封じた。
  • 太傅の師丹を左将軍とし、関内侯の爵を賜った。師丹は諫めて、天下は陛下の家であり、近親が富貴になれぬ心配などない、外戚や臣下にこれほど慌ただしく多くの封爵を与えるべきではない、と言ったが、聞き入れられなかった。
  • 六月、曲陽侯の王根は先に太子擁立の策を定めた功により二千戸を封ぜられた。太僕安陽侯の王舜は旧恩により五百戸を加増され、丞相の孔光と大司空の何武はそれぞれ千戸を加増された。
  • 詔して、河間王の良が太后の喪に三年の喪を全うし宗室の模範となったとして、一万戸を加増した。

有司の上奏による諸制度の改革

  • 王侯以下庶人に至るまで、田の所有は三十頃を超えてはならない。商人は定めを超えて田を持てず、超過分は官に没収する。
  • 斉の三服官、および民間の綺繡など製作に手間がかかり女子の労働を損なう品はすべて製造を停止する。
  • 任子令(高官の子弟を無試験で任官させる制度)と、誹謗・欺誣の法を廃止する。
  • 掖庭の官女で三十歳以下の者は宮外に出して嫁がせる。官の奴婢で五十歳以上の者は免じて庶人とする。
  • 郡国が珍しい獣を献上することを禁ずる。
  • 三百石以下の官吏の俸給を増やす。
  • 残酷で苛烈な使者は調査して随時退け免ずる。
  • 有司は赦の前の事件を蒸し返して摘発してはならない。
  • 博士弟子には父母のための休暇を認める。