前漢紀前漢孝成皇帝紀三 鴻嘉四年 前17年
- 秋、新都に魚が降り、長さ五尺であった。勃海・清河で河水があふれ、県邑三十一を水浸しにし、官亭や民家四万余か所を壊した。
- 丞相御史の李尋は次のように述べた。陰の気が盛んに溢れると水がそれに応じて増す。だから一日のうちでも昼に減り夜に増す。いわゆる「水、下を潤さず」であり、日月の変が天に現れるのと同じである。政をもってこれに応じれば災変はおのずと除かれる。議者はいつも九河の旧跡を探して掘ろうとするが、決壊したところはそのままにして塞がず、勢いを見るのがよい。河が居るところは次第に削れて自然に水路をなし、砂土をはね出す。その後に天心に順って図れば必ず功をなし、しかも財力は少なくてすむ、と。そこで塞ぐのをやめた。
- 冬、鄭躬の一党が広漢を侵し、衆はほぼ一万に達した。河東都尉の趙護を広漢太守とし、郡中と蜀郡から合わせて三万人を発してこれを撃ち、ひと月ほどで平らげた。趙護を執金吾に遷し、金百斤を賜った。