前漢紀前漢孝元皇帝紀中 建昭元年 前38年

災異と廃立

  • 春正月戊辰、梁国に石が六つ隕ちた。
  • 三月、雍に行幸し五畤を祀った。
  • 秋八月、白い蛾が群れ飛んで日を蔽い、東都門から軹道にまで及んだ。
  • 冬、河間王の元が罪あって廃され、房陵に遷された。孝文太后・孝昭太后の寝園を廃した。

馮婕妤の当熊と昭儀の号

  • 皇帝が虎圏に行幸して闘獣を観たとき、後宮の昭儀らも同席していた。熊が圏から逃げ出し、檻をよじ登って皇帝に及ぼうとした。左右の貴人や傅昭儀らはみな驚いて逃げたが、馮婕妤はまっすぐ進み出て熊の前に立ちはだかり、左右が熊を撃ち殺した。
  • 皇帝が「人情としては驚き懼れるものだが、なぜ熊の前に立ったのか」と問うと、「猛獣は人を捕らえればそこで止まると聞きます。御座まで至るのを恐れ、身をもって当たったのです」と答えた。皇帝は嘆じて嘉した。傅昭儀は甚だ恥じ、これによって婕妤との間に隙が生じた。
  • 婕妤は右将軍馮奉世の女である。傅昭儀は若いころ上官太后の才人で、皇帝が太子であった頃から進み寵せられた。才略があり人によく仕え、下は宮人や左右に至るまで、酒を飲めば地に注いで祝うほど心を寄せさせた。甚だ寵せられ、男子があった。これが定陶恭王である。皇帝は後宮の中で特別に遇そうとして昭儀と称し、位次は皇后に次ぐものとした。昭儀の号はここから始まった。