柏梁台の火災と夏侯始昌
- 冬十月、太山に行幸した。
- 十二月甲子の朔の朝が冬至にあたり、明堂で上帝を祀った。
- 己酉、柏梁台が焼けた。夏侯始昌はあらかじめその火災の日を言い当てていた。夏侯始昌は魯の人で陰陽に明るく、術によって取り立てられて梁王の太傅となった。武帝はこれを重んじ、選んで昌王の太傅とした。
- 十二月、蒿里で禅を行い后土を祀った。武帝は東へ渤海に臨んで蓬萊を遥拝し、帰って甘泉宮で会計報告を受けた。
- 春二月、建章宮を起工した。
暦の改定と三統
- 夏五月、律と暦を正し、寅の月を年の初めとし、色は黄を尊び、数は五を用い、官名を定め、律暦を正し、音楽を調えた。
- 昔、夏は寅の月を正月とし、殷は丑の月を正月とし、周は子の月を正月とした。これが三統を承けるということである。
- 十一月は乾の初九にあたり、その位は子にある。天の気が起こり始めて陰陽の変化を生ずるので、子を天統とする。六月は坤の初六にあたり、その位は未にある。陰が陽を受けて剛柔の形を成し、その対衝は丑にあるので、十二月を地統とする。正月は乾の九三にあたり、万物が地から湧き出て、人がこれを奉じて承けるので、寅を人統とする。夏・殷から周まで三度変わって一巡したので、漢は夏の正月を用いるのである。
- 天統は子で教化を施し始め、半日で萌え出て色は赤い。地統は丑でこれを受け、変化し始めて色は黄、半日で変じて白くなる。人統は寅でこれを受け、芽が成って色は黒く、寅の半日に至って生ずる色は青である。だから夏は黒を尊び、殷は白を尊び、周は赤を尊んだ。
律暦の五事
- 律暦には五つある。第一に数を備えること、第二に声を和すること、第三に度を審らかにすること、第四に量を嘉くすること、第五に権衡である。これらを組み合わせて変化させ、その数を交錯させ、気や物と照らし合わせ、心と耳で調和させて、自然の数に達し、性命の理に順うのである。
- 数とは一・十・百・千・万である。もとは黄鍾の数に起こり、一から始まって無限に積み重ね、事物の数を網羅する。職掌は太史にあって、これを司る。
- 声とは宮・商・角・徴・羽であり、八音を調和させ、情性を正し、風俗を移すものである。八音とは、土は缶、匏は笙、皮は鼓、竹は管、絲は絃、石は磬、金は鍾、木は祝・敔である。
- 角は触である。物が地から出て芒や角を帯びる。徴は祉である。物が盛んで栄える。宮は中である。商は量である。物が盛んで量り測れる。羽は宇である。物が集まって覆いかぶさる。
- 五行に配すれば、角は木、五常では仁、五事では貌。商は金、義、言。徴は火、礼、視。羽は水、智、聴。宮は土、信、思、心である。また宮は君、商は臣、角は民、徴は事、羽は物にあたる。
六律六呂
- 六律は律すなわち法であり、気を統べ物を類別する。子は黄鍾、寅は太族、辰は姑洗、午は蕤賓、申は夷則、戌は無射。
- 六呂は呂すなわち助であり、陽を助けて気を行き渡らせる。未は林鍾、酉は南呂、亥は応鍾、丑は大呂、卯は夾鍾、巳は中呂。
- 黄鍾の黄は中央の色、鍾は種で、中央の色をもって物の種を播くことをいう。大呂は呂すなわち陽を助ける。太族は族すなわち湊で、地上に集まり出ることをいう。夾鍾は陽を挟み輔ける。姑洗の姑は固、洗は潔で、物を固め清めることをいう。中呂は陰が起こり始めてまだ発せず、中に居て陽を助ける。蕤賓の蕤は継、賓は導で、陽が物を導いて継ぐことをいう。林鍾の林は居で、陰が陽を受けて物を収め留めることをいう。夷則の夷は傷、則は法で、陽が法を正して、陰が傷つけるべき物を損なわせることをいう。南呂の南は任で、陰が陽を受けて物を成す。無射の射は厭で、陽が窮まり陰が成って、終わってまた始まり、飽きることがない。応鍾は陰が陽に応じて後に物を収めることをいう。
三分損益と度量衡
- 五声の本は黄鍾に生ずる。黄鍾の律管は長さ九寸で、これを減らしたり増したりして五声を定める。九と六が相生じ、陰陽が応ずるのである。
- 黄鍾を三分して一を減らして下に林鍾を生じ、林鍾を三分して一を加えて上に太蔟を生じ、太蔟を三分して一を減らして下に南呂を生じ、南呂を三分して一を加えて上に姑洗を生じ、姑洗を三分して一を減らして下に応鍾を生じ、応鍾を三分して一を加えて上に蕤賓を生じ、蕤賓を三分して一を減らして下に大呂を生じ、大呂を三分して一を加えて上に夷則を生じ、夷則を三分して一を減らして下に夾鍾を生じ、夾鍾を三分して一を加えて上に無射を生じ、無射を三分して一を減らして下に中呂を生ずる。
- 陰陽は相生じ、黄鍾から始まって左に回り、八八六十四を位とする。律管はみな銅を用い、職掌は太楽・太常にあって、これを司る。
- 度とは分・寸・尺・丈・引で、長短を測るものである。もとは黄鍾の長さに起こる。黒黍の中くらいのものを一粒の幅として測ると、黄鍾の長さは九十分にあたる。黍一粒を一分とし、十分を一寸、十寸を一尺、十尺を一丈、十丈を一引とし、五つの度が定まる。職掌は内官・廷尉にあって、これを司る。
- 量とは籥・合・升・斗・斛で、多少を量るものである。もとは黄鍾の籥に起こる。黒黍の中くらいのもの千二百粒が満ちて一籥、十籥で一合、十合で一升、十升で一斗、十斗で一斛となり、五つの量が整う。籥は興、合は合、升は登、斗は聚、斛は角の意である。職掌は太倉・大司農にあって、これを司る。
- 権衡は軽重を平らかにするもので、銖・両・斤・鈞・石である。もとは黄鍾の重さに起こる。籥に入る千二百粒の黍が十二銖にあたり、二十四銖で一両、十六両で一斤、三十斤で一鈞、四鈞で一石となる。
- 銖は微かなものから見えるものへ至って区別できることをいう。両は二つの鍾の重さで、二十四の気を象る。斤は明の意で、三百八十四銖は『易』二篇の爻の数、陰陽の変動を象る。十六両を一斤とするのは、四時が四方に乗ずる象である。鈞は物を平均にするもので、三十斤は一月を象る。石は大の意で、権の大なるもの、四鈞は四時を象り、重さ百二十斤は十二か月を象る。こうして五つの権が備わる。
- 物と権が釣り合って衡が生じ、衡が回って規が生じ、規が円くて矩が生じ、矩が方形で縄が生じ、縄が真っ直ぐで物が定まる。これを五則という。君臣がこれを用いて国の礼を定め、百工がこれに由って規範とする。職掌は鴻臚にあって、これを司る。
- そもそも暦を推し、律を生じ、器を作り、権衡・規矩・準縄・度量を扱うにあたり、奥深いものを探り隠れたものを求め、深きを鉤り遠きを致すのに、これらを用いないものはない。
匈奴と大宛
- 匈奴の単于が殺伐を好んだので、左右の大都尉が単于を殺して漢に降ろうとした。そこで因杆将軍公孫敖を遣わして塞外に受降城を築かせたが、事が露見して左右の大都尉は誅殺された。
- 秋八月、安定に行幸した。
- 天下の罪を得た民を徴発し、貳師将軍李広利を遣わして大宛を征討させた。
- 秋、大蝗が東方から飛来して燉煌にまで及んだ。