天変と封建
- 春、東方に彗星が現れた。
- 夏、大旱魃。五月、天下に大赦した。
- 膠東康王の末子の劉慶を六安王に立てた。劉慶は劉寄の愛子で、武帝はこれを憐れんで立てたのである。
- 蕭何の曽孫の蕭慶を鄼侯に封じた。これに先立ち蕭慶の父の蕭則が跡を継いだが罪を得て免ぜられ、弟の子の蕭勝が継いだがまた罪を得て免ぜられたので、兄の子の蕭慶に蕭何の後を継がせたのである。
- 秋、匈奴が右北平・定襄に侵入し、千余人を殺し掠奪した。
卜式
- 謁者を遣わし、貧民に金穀を貸し与えられる者を挙げて名を報告させた。当時は混邪王が降ったばかりで官の出費がかさみ、倉庫は空になり、流亡した貧民はみな官の貸与を頼りにしたが、官には賑給する余力がなかった。
- 河南の人の卜式が銭二十万を太守に差し出して貧民救済を助けた。当時、富民の多くが財産を隠していたなかで、卜式だけが私財を出そうとしたので、武帝は召して郎中に任じ、左庶長の爵と田十頃を賜り、天下に布告して民を教え諭した。
- 卜式は農牧を業とし、羊を千余頭飼っていた。これに先立ち匈奴を撃ったとき、卜式は家財の半分を辺境の費用に出したいと上書した。武帝が「官職が欲しいのか」と問うと「望みません」と答え、「家に訴えたい恨みでもあるのか」と問うと「ありません」と答え、「天子が匈奴を誅されるのですから、賢者は節義を尽くし、財ある者は財を出すべきです。そうすれば匈奴は滅ぼせます」と言った。当時の丞相公孫弘は、それは人情ではなく、法を守らぬ臣であって教化の手本にはできないとして許さなかった。
- 卜式が郎中となると、武帝は上林苑で羊を牧させた。羊は肥えて増え、武帝が見て感心して尋ねると、卜式は「羊だけではありません。民を治めるのも同じです。時を計って起き臥しさせ、悪いものはすぐ取り除いて群れを損なわせないのです」と答えた。武帝はその言葉を非凡と見て緱氏の令に任じ、役人も民も助かった。
- 隴西・北地・上郡の守備兵を半減した。
- この年、罪を得た官吏や兵卒を徴発して昆明池を掘らせた。