前漢紀前漢孝景皇帝紀 中元六年 前144年

  • 冬十月、雍に行幸して五畤を祀った。
  • 十二月、銭の鋳造と黄金の偽造に関する法を定め、犯した者を棄市とする令を出した。
  • 春三月、雪が降った。
  • 夏四月、梁王武が薨去し、謚を孝王とした。当時、梁王が北で猟をしていたとき、梁で足が背中から出た牛が献じられた。本志はこれを牛禍とし、思心が乱れた咎とする。
  • そこで梁を五国に分け、梁孝王の男子五人をすべて封じ、女子五人にもみな湯沐邑を食ませた。五月丙戌、梁孝王の子の明を濟川王、朂を甾川王、彭離を濟南王、定を山陽王、識を濟陰王、不疑を衡山王に立てた。
  • 詔して、二千石の吏の車は両輪を朱に、千石から六百石までの吏の車は左輪を朱に塗ることとした。
  • 有司に詔して笞の法を減らした。肉刑を廃してから笞五百・三百が多く死者を出していたので、律を定めて五百を三百に、三百を一百とした。それでもなお全うできなかったので、さらに詔を下した。笞は教えるためのものである。捶の令を定めよ、と。長さ五尺、根元は太さ一寸、先端は太さ半寸とし、節をすべて平らに削る。臀を打つこととし、笞を打つ者は途中で交代してはならず、一人を打ち終えてから交代する。これによって笞を受けた者も命を全うできるようになった。
  • 六月、匈奴が鴈門に侵入して武威・酒泉の邑に至り、上郡に入って苑の馬を奪った。戦死した吏卒は三千人であった。
  • 秋七月辛亥の晦、日食があった。