殘唐五代史演義傳第十回 安景思、羊を牧して虎を打つ (安景思牧羊打虎)
樵夫との出会いと飛虎山への案内
- 晋王は狩りをするが何も獲物が得られず不審に思っていたところ、歌いながら歩く樵夫に出会う。
- 樵夫は「この辺りは木々や岩が多く、狩りには向かない。四十里先の飛虎山・霊求峪こそ獣が豊富な地だ」と教える。
- 前夜の虎の夢と「飛虎山」の名が重なることに晋王は喜び、樵夫の案内で向かうが、着いた途端に樵夫は忽然と姿を消す。
虎の出現と存孝の武勇
- 飛虎山で突風が吹き荒れ、周徳威は「雲は龍に従い風は虎に従う」と説く。
- そこへ一頭の巨大な虎が現れ、晋王は矢を放ち脇腹に命中させるが、虎は谷を跳び越えて逃げ、対岸で羊を一頭噛み殺す。
- 岸辺で眠っていた若い牧羊の男が羊の悲鳴で目を覚まし、素手で虎に立ち向かい、殴る蹴るの末に虎を打ち殺してしまう。その豪勇ぶりが古詩や後人の詩で称えられる。
- 岸の向こうから軍兵が呼びかけても男は虎を軽々と引きずるだけで、誰も動かせない虎を難なく対岸に投げ返してみせる。
安景思の出自
- 晋王が名を問うと、男は「母はいるが父を知らない」と答え、その出生の由来を語る。
- 母・崔氏は若い頃、霊求峪の皇陵にある石人と戯れに縁組の誓いを立てたところ、その夜本当に石人が人の姿で通ってきて身ごもった。父(員外)は信じず母を追い出し、母は破窯で暮らしながら男を七歳まで育てた後、石人の頭を安置し直したことにちなんで「安」の姓と「景思」の名を与え、自ら首を吊って死んだ。
- 男はその後、鄧万戸のもとで十年間羊飼いをして生きてきたと語り、鉄籠山で異人から兵書と十八般の武芸を授かったことも明かす。
安景思の登用
- 晋王は安景思を息子として登用したいと考え、鄧万戸を呼び「実は自分の世子で乱により行方知れずになっていた」と偽って引き取ることを申し出る。
- 鄧万戸は疑わず快諾し、既に娘・瑞雲を安景思の許嫁としていたことを明かし、瑞雲を晋王のもとへ送り届ける。瑞雲は劉妃のもとに預けられる。
- 晋王は兵を率いて陣営へ帰る。
評語
卓吾子は、唐代の記録に「存孝」の名は実際には見当たらず、これは好事家の作り話であろうと評した。