通鑑紀事本末重刊の序(趙與籌)

淳祐壬子(1252)前後、趙與籌が私財を投じて本書を重刊したときの序。『資治通鑑』は編年を宗とし『紀事本末』は事を並べることを体とするもので、両者は対立せず、後者は『通鑑』の戸口・窓であると位置づける。退いて郷里で四年間これを熟読した経験から、治は君子の任用に、乱は小人への親昵に始まるといった要旨を挙げる。厳陵の旧版は字が小さく誤りも多かったため、大字に改めて校讎を加え、朋友と共有すべく重刊したと記す。

年表(1件)

淳祐壬子以後の重刊事情(1252年前後)

  • 『資治通鑑』は治世の道に最も切実で、諸史の精華・百代の鑑であり、神宗皇帝がこれを深く重んじて「資治」の嘉名を与え、経筵での進読を命じ、歴朝これを宝として訓戒としてきたと述べる。
  • 近世、建安の袁樞が『紀事本末』を作り、条目を区別して類ごとに配列した。これは『通鑑』の外に何かを加えようとしたものではない。『通鑑』は編年を宗とし、『本末』は事を並べることを体とする。編年では一つの事でも歳月が隔たり、比事では年をまたいでも脈絡が連なる。
  • ゆえに『通鑑』を読むのは高山に登り大海に浮かぶようで容易に岸辺を見定めがたいが、『本末』を併せ読めば、根・幹・枝・葉が次々に生じるように、他巻を繰り返さずとも一目瞭然となる。『本末』は『通鑑』の戸口・窓であり、袁樞のこの書は司馬光の労を助けて前後を整えたものというべきだ、と評する。
  • 序者(趙與籌)は淳祐壬子に退いて郷里に居し、四年の間これを熟読した。世が開け君明らかに臣良く、諸制度が整い四方の異民族が服属する記事には喜び慕い、末世に至って賢愚が逆転し綱紀が緩み、外に阻まれ内に訌する記事には感憤し嘆息したという。
  • その要旨として、治は君子を任用することに始まり、乱は小人に親しむことに始まる。安は民心を固めることに、危は民力を困らせることに始まる。忠実に上に仕える者で栄えなかった例はなく、姦佞で君を欺く者で滅びなかった例はない。公廉にして広く済す者は代々名を残し、貪酷で暴殄する者は子孫に禍を残す。天道と人事の応答は違わず、源と結末を参照すれば将来への勧戒を明らかにできる、と説く。
  • 厳陵の旧版は字が小さく誤りも多かったため、大字に改め、精しく校讎を加え、私財を投じて重刊した。老眼に便であり子弟を教えるためであり、四方の朋友と共有したいがためである、と刊行の意図を記す。