帝王略論卷四 長城公

陳滅亡の要因

  • 公子は、長城公(陳後主)が滅んだ理由はすでに聞いた、これは人事の不足であって天命ではないと述べた。
  • 先生は答えた。江南の地は国が小さく兵も弱かったが、呉・晋以来数百年、人の和と地の険しさによって自立を保ってきた。陳の時代、隋の文帝が新たに天下を得て統治に力を注ぎ、軍備を整え、常に天下併呑の志を抱いていた。両者の強弱を比べれば到底釣り合わない。もし賢明な君主・臣下が徳を修め民を撫で、隣国への礼を尽くしていれば、かろうじて国境を保てたかもしれない。まして至徳年間の末には、つまらぬ小人ばかりを用い、軍備も廃れ、長江・淮水の険を頼んでも守り切れなかった。滅びを免れようとしても叶うはずがなかった。しかしこれもまた巡り合わせの結果であった。

史溥の夢占い

  • 公子が「期運」とはどういうことかと尋ねた。
  • 先生は次の逸話を語った。陳の永定元年、会稽の人・史溥が揚州従事を務めていた。武帝が禅譲を受けたころ、史溥は夜、黄門侍郎の孔宗範の家に宿った。夢の中で朱衣を着た人物が天から下り、金版を手にして現れた。そこには文字が記され、「陳氏は五代・三十四年で終わる」とあった。読み終えると人物は空に消え、史溥は目覚めて宗範にこの夢を語った。宗範は「自分は年老いており、この夢が当たるなら子孫の憂いだろう」と言った。実際、武帝から後主まで数えると五代であり、永定の初めから貞明の末まで数えてもまた三十四年であった。冥数(天の定め)が既に定まっていたことが知られ、単なる人事ではなかったとわかる。陳が滅んだ年にも史溥はなお存命であったため、この話を詳しく書き記し、異事として残した。