帝王略論卷四 梁武帝

梁武帝への評(其一)

  • 問い:梁の武帝は兇暴を平らげて帝業を成し、南面して君臨すること五十余年、文武の道を備えていたはずである。しかし仏典に心を寄せ、僧のように身を持し、万乗の君でありながら匹夫の善行に等しいことを行った。薫(香草)と蕕(臭草)が区別されなかったように善悪の報いも表れず、危亡を招いた。仏道が誤っていたのか、それとも謙譲の福が効を奏さなかったのか。
  • 答え:仏教とは、俗世を脱する橋であり、塵世を絶つ道である。心の内で行われ、有無の境を超えたものであり、煩悩と執着を尽くして初めて解脱の門に入る。俗世の法として布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜があるが、これは仁義礼智信の五常と何ら変わらない。修めた行いを因とし、その報いを果とする。人がこの六行を修めても多くは完全に行えず、一つでも欠ければ果報もそれだけ減る。だからこそ鬷明は容貌は醜くとも心は聡明であり、趙壱は才に優れながらも地位は低かった。羅褒は富裕であっても義がなく、原憲は貧しくとも道を有していた。この違いは、両極端なほどに隔たっている。国の興亡や個人の得失はすべてこの理によるものだ。下賤な凡夫は比干が心臓を割かれて死んだのを見て「忠貞など為すべきではない」と考え、偃王が仁義ゆえに国を失ったと聞いて「仁義など効なきものだ」と考える。もしその理屈が正しいなら、盗跖が東陵で高枕して安楽に過ごし、荘蹻が西蜀で悠々自適に天寿を全うしたことこそ尊ぶべきということになってしまう。心ある君子には、この論をもって理解してほしい。行いが十全でなければ、諸々の福も備わらない。だから吉凶禍福が等しくならないことがあり、素行不良でも富貴の者があり、仁を積んでも凶事に遭い若死にする者もあるのである。

梁武帝への評(其二)

  • 問い:君主が道を修めるのは、庶民と異なるものか。
  • 答え:君主とは、尊く高い地位にあって生殺の権を握り、その勢威は風雲のごとく、その力は山岳を摧くほどである。その威徳は大きく、その及ぶ範囲は遠い。道を修めるにあたっては、広く済度することを心とし、仁と寛恕を体とし、一つの物でも所を得ないことがあれば、あたかも自分がその者を溝に落としたかのごとくに感じ、この一心を万物に及ぼしてこそ、真に道を得たといえる。もし恵みが道端の葦にすら及ばず、その徳化が海外にまで及ばないのであれば、わずかな一介の善行など、取るに足りないものである。