帝王略論卷二 高祖孝宣皇帝
生涯
- 宣帝は名を詢といい、武帝の曾孫、衛太子の孫である。足の裏に毛があり、寝ているときには光り輝くようであったという。
- 即位して本始元年と改元した。法律を好み治道に心を留め、良吏を登用してみな職に称った。常に「百姓に愁いや恨みを抱かせずに済むのは、実に良二千石(郡太守)の働きによる」と語った。
- 宣室に幸するたびに斎居して政務を裁決したため、百官もその力量に称賛の声を上げた。
- 鸞鳳・神雀が飛来し甘露が降り、豊作が続いた年もあり、穀物の値は石五銭ほどまで下がった。呼韓邪単于が入朝して仕えたことから、中興の帝と称された。
- 即位二十五年、年四十二にして元帝が生まれた。
史論
公子は「漢の宣帝の政治は明察であったが、光武帝と並ぶ人物だろうか」と問うた。先生は次のように答えた。漢の宣帝は民間の身から起こり民の苦しみを知っていたため、政治に心を尽くし賢良を登用した。しかしその根本を辿れば、名を正して実を求め、法を厳しくし令を峻しくするやり方は、申不害・韓非の流れを汲むものである。元帝が太子であったとき「法が厳しすぎる」と宣帝を諫めたところ、宣帝は色をなして「わが漢家は覇道と王道を併せ用いる。どうして純粋に徳による教化だけに頼って政治を損なってよかろうか」と言った。これによってその度量がさほど広くないことが知れる。古語に「王道を図って成らずとも、その弊はなお覇道たり得る。覇道を図って成らずんば、その弊はどうなるか」とある。光武帝は仁義をもって王道を図った君であり、宣帝は刑名をもって覇道を図った主である。両者を今並べて論じるのは、その筋が違うのではないか。