略歴
- 成王は名を誦、武王の太子。成王の治世には周公が宰相となり、政治は太平に達した。
- 鳳凰が宮殿の庭に集まったため、王は「鳳よ鳳よ、紫庭に集まる。私に何の徳があってこの霊瑞に感応したのか」という歌を作った。
- 周公が宰相となった当初、二人の弟・管叔と蔡叔が紂の子・武庚と結んで乱を起こしたが、周公はこれを誅殺し天下は定まった。
- 成王が崩じると太子が立って康王となった。
史論(公子との問答)
- 公子は、かつて虞舜の弟・象は常に舜を殺そうとしていたが、舜は即位した後に象を諸侯に封じた。これも聖人の教えの一つである。ならば周公はなぜ管叔・蔡叔の罪を赦さず誅殺・追放したのかと尋ねた。
- 先生は、象が舜を害そうとしたとき舜はまだ庶民であり田畑にあった身で、これは一身の禍いに過ぎなかったとする。一方、管叔・蔡叔の乱は社稷(国家)を危うくする謀反であり、周公がこれを誅殺したのは自身のためではなく、天下の命を救い宗周(周王朝)の祭祀を存続させるためであった。「大義親を滅す」とはまさにこのことであるとする。『春秋』に「管叔・蔡叔は誅戮され、周公は王を助けた」とあるのも、決して王室を愛さなかったからではない、と結ぶ。