儼
- 字は誠允、俶の異母弟。本名は信で淳化初に改名した。幼くして出家していたが長じて謹厳で学を好み、俶の襲位で鎮東軍安撫副使、周顕德4年衢州刺史に署された。太祖の揚州平定を賀う俶の使者として赴き、閤門副使武懐節が迎えて厚遇された。開寶3年、兄の偡に代わり潮州知事充宣德軍安撫使、俶の毘陵討伐に伴い漕運を督した。太平興国2年、俶の請により新媯・儒等州観察使兼湖州知事、兄の儀(慎・瑞師等州観察使)が卒すると入朝し隨州観察使(儀は金州観察使)となり、郊祀では節度使の次に班位を上げられた。天駟監への行幸に従った際、太宗は「儼は儒者だ、おとなしい馬を選んで与えよ」と命じた。まもなく和州判官として出て17年在任、咸平6年67歳で卒し昭化軍節度を贈られた。儼は学問を好み経史に通じ、若い頃夢で大硯を授かって以来文才が開花、当代の詞翰の多くを手掛け、京師でも文士と交遊した。淳化初『皇猷録』、咸平に『光聖録』を献じ嘉賞された。著書に『前集』50巻・『後集』24巻・『呉越備史』15巻・『備史遺事』5巻・『忠懿王勲業志』3巻・『貴溪叟自叙伝』1巻がある。百杯飲んでも酔わなかったが、ある軍校が「飲めば飲むほど恭しくなる」ことを評され、儼は「それも常態が変わっているだけで真の酒豪ではない」と評した。