宋史卷四百七十九 列傳第二百三十八 李廷珪

李廷珪

  • 并州太原の人。7歳で知祥の帳下に入り蜀に従い、知祥僭号後に軍職を歴任、階州の功で眉州刺史となった。鳳翔攻略を図った際、廷珪は子午谷から出兵したが趙贊が王景崇に迫られたと知り撤退、興元権知を経て捧聖控鶴都指揮使・蜀州刺史・雅州永平軍節度・山南節度・閬州保寧節度護聖控鶴都指揮使を歴任した。周軍の秦州攻略時は北路行営都統となったが秦・成・階の3州を失い罪を待ったが昶に赦された。左右衞聖諸軍馬歩軍都指揮使として左右十軍を統率、遂州武信軍節度も加えられたが、階州救援を怠ったとして兵権を返上、まもなく兼侍中蜀成都廵検使を加えられた。王全斌の劒門攻略に際し玄喆と共に拒戦したが綿・漢で敗れて退き、通過した州県の蓄えを焼き払った。全斌軍が成都に入ると行営都監王仁贍が軍需の在処を糾したため廷珪は懼れ馬軍都監康延澤に相談、延澤は「王公(仁贍)は色を好む、欲を満たせば見逃すだろう」と助言し、質素であった廷珪は姻戚から妓4人を借り、金帛数百万も借りて仁贍に贈り事なきを得た。帰朝後右千牛衞上将軍、乾徳5年卒した(廷珪・王昭遠・韓保正の川中の田宅は昶降伏後にそれぞれ銭300万で買い上げられた)。