宋史卷四百七十九 列傳第二百三十八 趙彦韜
趙彦韜・龍景昭
- 趙彦韜は興州順政の人、本州義軍禆校であった。乾興中(実際は乾徳中の誤りか)、昶が興国軍討撃使孫遇・楊蠲とともに彦韜を間諜として都下へ遣わした際、昶が并州の劉鈞へ送った蠟丸帛書を密かに奪って告発、蜀討伐の実情も伝えた。太祖は遇・蠲をあわせて赦し西討の道案内とし、興州を落とすと彦韜を本州馬歩軍都指揮使とした。蜀平定後、本州刺史から澧州に移ったが性は乱暴で法を犯さず、民の訴えを鞫問中に不実として自ら手を下し心肝を探り出す残虐を働き、被害民の訴えに太祖は怒って蔡州へ杖罪配流とした。
- 龍景昭は䕫州奉節の人、若くして武勇に優れ蜀に仕え義軍禆校から戦櫂都将、施州刺史に至った。乾徳中、諸将の伐蜀軍が峡路から境に迫ると、景昭は官吏を率い牛酒で宋師を犒い迎え入れ、太祖はこれを喜んだ。蜀平定後は永州刺史、任満後に入朝し右千牛衞将軍に改まり開寶3年卒した。昶の入朝時に左羽林将軍として同行した景昭の弟処塘ら4人は道中で卒し、太祖はその子を供奉官殿直に補した。