宋史卷四百七十九 列傳第二百三十八 趙崇韜

趙崇韜

  • 并州太原の人。父廷隠は知祥に従い入蜀、勇武で東川の董璋が成都を襲った際にこれを大破し(璋は部下に殺され知祥がその地を得た)、僭号後は親軍の衞聖諸軍馬歩軍指揮使から太師中書令に累遷し宋王を追贈され「忠武」と諡された。崇韜は父に劣らぬ驍勇で、昶は殿直四番を置き将家の子や殉職者の子弟にこれを統率させたが、李仁罕の子継宏・趙季良の子元振・張知業の子継昭・侯洪実の子令欽と崇韜を都知として分掌させた。後に客省使に至り、周世宗の秦鳳侵攻を崇韜が撃退した。左右衞聖歩軍都指揮使を歴任し子の文亮を公主の婿とし洋州武定軍節度・山南武定緣邊諸砦都指揮副使を加えられた。漢源の戦いで劣勢の中なお馬を駆り十数人を斬ったが宋師に捕らえられた。