永楽の役で更相論奏された鄜延路鈐轄
- 盧守懃、字は君錫、開封祥符の人。入内内品から累進して礼賓使、邠寧環慶路鈐轄となり、戻って入内内侍省押班・昌州刺史を領した。明道中、章懿太后を改葬した際、旧藏に水があったことで守懃がかつて葬儀を典掌していたことにより永興軍兵馬鈐轄に罷され、鄜延路に徙った。再遷して六宅使、貴州団練使を加え、栄州防禦使・邠寧環慶路安撫都監を進んだ。
- 元昊が保安軍を寇すると守懃は兵を率いてこれを撃走し、特に左騎驥使に遷り陝西鈐轄に移った。当初、劉平・石元孫が捕らえられた際、守懃は胸を打って涕泣し出兵できなかった。また蕃官の馬を交易したことがあった。延州通判の計用章は范雍に城を棄て鄜州を保つよう勧め、雍は安撫都監の李康伯を遣わし賊を説得しようとしたが康伯は行こうとしなかった。賊が去ると守懃と用章は互いに相手を論奏し合った。
- 知制誥の葉清臣は守懃が兵を擁して観望していたと正罪を請い両人を按じ、守懃は防禦使を奪われ湖北都監に落とされ、用章は籍を除かれ雷州本城に配され、康伯は均州都監とされた。しばらくして恩州防禦使に復し利州観察使に遷り、真定府・定州・北京路鈐轄を歴任、左衛大将軍で致仕して卒した。保順軍節度使を贈られ、諡は安恪。養子の昭序があった。