宋史卷四百五十四 列傳第二百十三 陳繼周
陳繼周
- 字は碩卿、寧都の人。淳祐三年郷挙、捕盗の功で未奏名のまま廉州司法に任じられ、南豊知県知録・淮東総領幹官・藤州観察推官・吉州永豐知県、髙安知県、広東経略司準備差遣・衡陽知県を歴任、淮東転般倉・江東提点刑獄幹辦公事に招かれたが赴任前、咸淳十年に詔で勤王が求められ、文天祥が贛州守として即日挙兵した際、継周を訪ねて計を問うた。継周は慨然と閭里の豪傑子弟や挙兵の場所について詳しく述べたため、天祥は継周を幕中に留め昼夜調度を任せ、江西安撫司準備差遣に任じ贛の士を率いて従わせた。継周は虚弱で衣にも堪えられぬほどであったが年徳が人を服させ、士は父兄のように仰ぎ、進退の速さも継周の指図のまま先を争うことはなかった。詔により継周は合入官を改め帯行監文思院差充江浙制置司主管機宜とされ、部下は夜に南柵門で大兵を襲い相当の死傷を出し、夜明けまで戦い渇して水に身を投げて死んだ。