宋史卷四百五十四 列傳第二百十三 陳羍

陳羍

  • 字は肇芳、一字は偉節、饒州安仁の人。父・詩川は武功により沭陽令となる。咸淳元年、父子ともに進士に登第。滁州司戸参軍となったが父の喪により職を辞し、荊閫糧料院に転じ、また母の喪により去り朐山主簿となる。制置使・印応雷の幕に招かれた。徳祐元年秋、羍は海路で杭に戻り南安軍教授を授けられたが赴任せず家に帰った。羍は若くして謝枋得と交遊しており、枋得が挙兵し安仁が真っ先に平定されると幕に入り、安仁令・李景を捕らえた。景は羍の里人で家財二万を差し出し罪を贖おうとしたが、羍は「天下すべて王土、家財が朝廷の銭と違うか」と述べ、その罪を糺弾して斬った。景の子は郷兵五千を率いて報復に来たが、羍は不利を悟り信州に赴いたところ、守吏が逃げたため朝廷に伝え郡事を代行した。益王即位後、朝見して宗正寺簿・太府寺丞・江東安撫使に転じ上饒に出たが所部はわずか千余人で火焼山に屯した。数か月後、戦い敗れて捕らえられ豫章に送られたが元帥はその才を惜しみ館に留めた。羍は脱出し三年後に再挙するも敗れ積煙山に入り自刎した。「鶴心集」の著作がある。その詩の多くは当時の士大夫を諷刺していたという。弟も同時に捕らえられ死んだ。