宋史卷四百五十四 列傳第二百十三 髙應松

髙應松(張山翁附)

  • 開慶元年進士。衡州教授から広徳軍通判に転じ召されて国子監丞・権礼部員外郎・翰林権直となる。北兵が湧金門から入城すると朝廷の官吏が皆逃げ散った中、留任した者は九人でありその一人であった。中書舎人・直学士院に転じ、まもなく権工部侍郎に転じ、端明殿学士簽書枢密院事に進んだ。瀛国公に従い燕に至り、食を断ち一言も発さぬまま七日で卒した。
  • 張山翁、字は君逹、普州の人。景定三年進士。徳祐元年、荊湖宣撫司幹官となる。鄂州守・張晏然が降伏を議すると、山翁は書を送り厳しく責めたが晏然はすでに降っていた。山翁は軍前で捕らえられ「降れば顕官にできる」と諭されたが、応答するも屈せず、行省の官・賈思貞はその義に感服し殺さず助命した。のち黄鵠山に隠棲し弟子を集めて教授し生涯を終えた。「南紀緇林」「蔵雲山相鋤」等の著書がある。