宋史卷四百五十四 列傳第二百十三 鍾季玉

鍾季玉(潘方附)

  • 饒州楽平の人。淳祐七年挙進士、都大坑冶属に任じ万載知県に転じた。淮東制置使・李庭芝の推薦で審計院に遷り宗正寺簿に改まり、さらに枢密院編修に転じ建昌軍知軍として出た。折しも江西で和糴(強制買い上げ)の詔が下り、季玉は着任してわずか半年、旱魃で経賦を賄いきれないと考え朝廷に願い出て三分の一の減額を得た。常平提挙に転じ、まもなく転運判官に改まったがいずれも赴任せず、のち江西転運判官に強いて起用された。当時郡の大胥(下級役人)が賄賂で罪を免れようとし百計を尽くしたが、季玉はついに罪を糺明し嶺表に流し、まもなく秘書丞に召し戻されたが前任者の讒言に遭い封駁(審査で差し戻す)された。都大提点坑冶に改まり、北兵が渡江すると季玉は建陽に居を移したが、兵が至ると屈せず殺害された。潘方という者は温州平陽の人で、宝祐四年進士、慶元府市舶を監督していたが、慶元が降伏すると屈せず水に身を投げて死んだ。