宋史卷四百五十二 列傳第二百十一 黄介

黄介

  • 字は剛中、隆興分寧の人。気概に優れ兵法を好んだ。制置使朱禩孫が蜀を統括すると介は攻守の策を上奏し、禩孫はこれを愛して側に置いた。夏貴に招かれ広済簿尉となり、死罪の疑わしい獄事を反転させたが尹はこれに抗えなかった。錢真孫に再び招かれ幕に入り、真孫と別れる際に「男児死せば南八たれ」(唐の南霽雲の故事)と誦して励ました。のち家居し郷民を率いて龍安山に登り籠城の備えをした。徳祐元年、北兵が至り砦の衆が潰走する中、介は独り堅守して出撃せず、矢を放ちながら罵り続け、顔に六矢を受けても動じなかった。家僮の陳力を顧みて「お前は力を尽くせ、逃げるな」と言うと、力は「主が死ぬなら生死を共にします」と答えた。介はさらに矢を身に受け蝟毛のようになり、顔と首にも十三矢を受けて柵にもたれて死に、力も死んだ。妻の劉氏は掠われ、子の用中は逃れて生き延び、成人後、四方を十年以上探し母を京師で見つけ帰郷させたため、里人はこれを「黄孝子」と称した。