宋史卷四百五十二 列傳第二百十一 劉士英
劉士英
- 宣和年間、温州教授。方臘が処州を陥落させると州人は争って舟を用意し逃げようとしたが、士英は「避難すべきでない」と強く主張したものの郡将以下すべてに阻まれた。士英は独り責任を負い、郡の秀才・石礪を推して謀主とし、兵を整え食糧を蓄え保伍を籍にし、地を八隅に分けて官を配し鐘を合図として民は聞けば守るべき城壁に集まるよう定めた。まもなく賊が攻めてきたが四十余日にわたり防ぎ、官軍が到着すると賊は潰えて去った。靖康初、太原府通判となる。金人が境を犯すと帥臣張孝純が避難しようとしたが、士英は通判・方笈、将官・王禀とともにこれを強く止め、孝純および城が陥落する際、王禀は火に身を投じて死に、士英は短兵で応戦して死んだ。笈は金にあって和議の使者に付言し二人の死節を伝えたため、のち温・衢二州に石碑が建てられた。