宋史卷四百五十二 列傳第二百十一 牛皓

牛皓(髙萬・任安・泰元・薛琪・張亨)

  • 福津の人。武功大夫として川陝宣撫後軍中の部将となる。紹興五年、金の右都監撒離曷とその熙河経略使・慕洧が秦川を犯そうとし、宣撫副使呉玠は諸校を分けて偵察させた。皓は瓦吾谷で金将・虎山と遭遇、皓の部下は歩卒二百に満たず、馬を降りて戦い部下に「私が馬を捨てたのは、お前たちと生死を共にするためだ」と言った。金人は皓が普通の将と違うと見て招降しようとしたが力戦して死んだ。承信郎・高万も罵りながら戦い、熙河路部将・任安、宣撫司隊官・秦元・薛琪・張亨も共に陣中で死んだ。金人は「真の勇者だ」と互いに語り合ったという。のち皓・安には翊衛大夫が贈られ家族五人が登用され、万らには三官が贈られ子が登用された。