宋史卷四百五十二 列傳第二百十一 郭滸

郭滸(朱友恭附)

  • 徳順中安堡の人。従軍して累進し武経郎、涇原第八副将となる。金人が陝西を犯すと渭州の帥以下が寝返って降ったが、滸は独り義により拒み病と称して去った。帥はこれを忌み罪を着せ獄に下し、共に降るよう脅したが、滸は奮って「大丈夫たるもの、今こそ死に場所を得た、汚辱に甘んじることはできない。叛逆の大悪は天地の許さぬところ、私は死んでもお前たちを許さぬ、地下で訴えるだろう」と叫び、衆はその言葉を醜んで殺した。建炎三年、武翼大夫・忠州刺史を贈られた。同時に死んだ朱友恭は西安の人で、忠翊郎として涇原第一副将となり金人を華亭で歩兵で防ぎ功をあげたが、金兵が大挙して至ると赴戦し力戦して捕らえられた。渭州の帥が降伏していたため甘言で優遇を約したが従わずさらに詆辱すると、帥は怒りに堪えず脛を断ってさらし、一日置いて斬った。のち敦武郎を贈られた。