宋史卷四百五十二 列傳第二百十一 蔣興祖

蔣興祖

  • 常州宜興の人。蔣之奇の孫。蔭により累進して饒州司録となる。睦州で盗が起こり近隣の郡が動揺したが、興祖は州将に吏卒を集め戦具を整えるよう働きかけ、盗は害をなす機を得なかった。その功により開封府陽武県知県に転じた。陽武は古の博浪沙で地質が脆く黄河がその南を洗い、大雨で氾濫すると堤防が崩れたが、興祖は自ら救護に当たり四十日露宿し堤防は崩れずに済み、畿邑の統治で最も優れた成果を挙げ、使者たちがこぞって推薦した。靖康初、金兵が京師を犯し道は県を通過、避難を勧める者もあったが興祖は「私は代々国恩を受けた身、死すべき時だ」と言い妻子とともに留まった。監兵が賊と通じたため斬って晒したが、金の数百騎が攻めてきて一度は撃退したものの翌日兵が増し力尽きて戦死した。享年四十二。妻と長子も相次いで悲しみのあまり死んだ。詔により朝散大夫を贈られた。