宋史卷四百五十二 列傳第二百十一 髙敏

髙敏

  • 登州の人。涇原指使として西夏との戦いで重傷を負い、范仲淹・韓琦がともに推薦して閤門祗候となる。利州路・邠寧環慶都監として蕃部を統べた。羌が大順城を包囲した際、偏将趙懐徳が力戦しながらも部下の統率が乱れ、主帥李復圭が処罰しようとしたが、敏は「懐徳は人を用いるのに巧みで戦えば必ず勝つ、小さな過ちは大目に見るべきで、蕃官には漢法を強いにくい」と諫めて止めさせた。羌が鄜延方面に出るとの噂に対し、敏はしばしば復圭に「兵は声東撃西のもの、環慶はかつて白豹・金湯を破り遺恨が深く、備えを怠れない」と警告し、まもなく羌軍三十万が来寇した。総管楊遂が大義に駐屯すると敏を先鋒とし、夏人が大順水砦を奪おうとするのを防ぎ、寅の刻から午の刻まで戦い斬獲多数を挙げたが、榆木で援兵が来ないうちに流矢に当たり戦死した。享年五十七、官は東頭供奉官に至った。詔により嘉州刺史を贈られ、三子はそれぞれ侍禁・殿直に任じられた。