宋史卷四百五十一 列傳第二百十 鄧得遇

鄧得遇

  • 字は逹夫、卭州の人。淳祐十年進士、寧遠主簿となり、南昌知県・隆興府通判・行在蔵庫の監督を経て昭州知州に出され、広西提点刑獄に転じた。翌年、経略事を代行し静江府知府を兼ねた。徳祐元年、長沙が攻撃を受けると得遇は都統馬驥・馬応麒を援軍に遣わしたが、驥は潜かに寝返って帰り、得遇はこれを斬り軍事を応麒に委ねた。まもなく馬塈が代わって閫を治めることになったが議事は合わず、翌年、蒼梧に治所を移した。静江が破れると、得遇は朝服のまま南を望んで拝辞し、紙片に「宋室の忠臣たる鄧氏の孝子、生き恥をさらすことを望まず、溺死をこそ願う。彭咸(楚辞に見える殉節の故事)はわが故郷の先達、屈原(潭府の屈公子平)はわが伴侶、悠々自適にわが死に場所を得ん」と書き、南流江に身を投げて死んだ。