宋史卷四百五十 列傳第二百九 邊居誼

邊居誼

  • 随の人。初め李庭芝に仕え戦功を積み都統制となる。咸淳十年、京湖制置帳前都統として新城を守った。士心を得て戦守の備えはすべて法にかなっていた。大軍が沙陽に至ると守将王大用は降伏せず、攻め破られ捕えられた。呂文煥は新城のような小塁は攻めずとも済むと考えたが、居誼は舟師でこれを拒んだ。文煥は沙陽で斬った首を並べて降伏を勧めたが応じず、翌日、王大用を城壁下に引き出し「邊都統、急ぎ降れ、さもなくば禍が及ぶぞ」と呼びかけさせたが居誼は答えず、また城中に榜文を射込ませたが、居誼は「呂参政と話したいだけだ」と言った。文煥は居誼が自分に降ろうとしていると誤解し馬を馳せて近づいたが伏弩に射られ、身に三矢を受け馬も倒れ、辛くも救い出された。総制黄順は東門から寝返って開城降伏し、居誼を招くと「新城を得たいのか。私は死をもって守ると誓った、それがどうして叶うか」と拒んだ。黄順が部曲を呼びかけると、寝返ろうとする部曲を居誼は城門で悉く斬った。文煥は火攻めで城を攻め、居誼は家の金をすべて将士に分け与えて奮戦したが、夜、火が漢楼から民家に延焼する中、力尽きて自邸に戻り剣で自刃したが死にきれず、火に投じて死んだ。丞相伯顔はその勇を壮とし、焼け跡から遺骸を探し出させて見分し、利州観察使を贈り、死地に廟を建てた。