宋史卷四百五十 列傳第二百九 陳元桂

陳元桂

  • 撫州の人。淳祐四年進士。累進して臨江軍知軍となる。開慶元年、北兵(元軍)が臨江に迫ると、制置使徐敏子は隆興に駐屯して進まなかったが、元桂は病をおして登城し、北門の楼上で督戦した。矢石が雨のごとく降る中、吏卒が退避を勧めても従わず、ついに戦死した。その首は敵の楼に晒されたが、四日後に遺体を収めると顔色は生けるがごとくであった。
  • 移住を勧める親戚に対し「浮議に動かされたのか。饑饉や疾病、盗賊で死ぬより、国土を守って死ぬ方が立派だ」と答えた。家族の避難も許さず「太守の家族が真っ先に逃げれば民心を揺るがす」と戒めた。
  • 徐敏子の上奏により宝章閣待制を贈られ、緡銭十万・一子には京官・一子には恩蔭の登用が与えられ、北門に廟を建て「正節」と諡された。