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宋史
卷四百四十八 列傳第二百七 王忠植
慶陽府に死す
王忠植、太行の義士。紹興9年(1139年)石州等11郡を回復し武功大夫・華州観察使・忠義軍馬統制・代州知事。金軍の慶陽包囲に応じ陝西へ向かう途中、叛将趙惟清に捕らえられた。
「宋朝の詔なら拝すが、金国の詔には拝さぬ」と拒み、慶陽城下で降伏を勧められても「河東の忠義の士だ、諸君は朝廷を裏切るな」と大呼して自ら死を選んだ。奉国軍節度使・開府儀同三司を贈られた。
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