宋史卷四百四十七 列傳第二百六 趙令□
黄州に死す
- 趙令□、燕懿王玄孫。建炎初年鄂州通守として黄州で賊乱を鎮め、直龍図閣知黄州として6か月で城壁を修築。賊将張遇の招降にも「毒酒でも死を厭わぬ」と応じ撃退。丁進・李成の攻撃、孔彦舟の包囲も凌いだ。
- 内艱により離職したが再任、金軍が孟太后(隆祐太后)を追って黄州を襲った際、急ぎ入城し防戦するも城陥落。金人に降伏を拒み大罵し続け、鞭打たれ流血しながらも屈せず殺された。徽猷閣待制・諡愍を贈られ、州人の請願で祠廟が建てられた。城破の際、都監王遠・判官呉源・巡検劉卓も屈せず死んだ。