宋史卷四百四十六 列傳第二百五 李若水

靖康の変に死す

  • 李若水、字は清卿。洺州曲周の人。上舎登第、太学博士として蔡京・李邦彦の専横を批判し、時弊を突く十数の建議を行った。靖康元年(1126年)高俅の死に際し過度な礼遇に反対した。
  • 金への使者として遣わされ、著作佐郎・徽猷閣学士副使として金の完顔宗翰(尼堪)と交渉。中牟での動揺を鎮め和議の不成立を予見した。禮部尚書を固辞し吏部侍郎となった。
  • 金人が欽宗を再び郊外に招いた際、変事が起こり若水は帝の服を奪おうとする金人を罵り抱きついたが引き離され殴打された。金人は李若水を惜しみ生かそうとしたが絶食し、「天に二日なし、若水に二君なし」と拒み続けた。
  • 尼堪の詰問に対し宋の失信より金の非を五つ挙げて糾弾、罵り続けながら刃で頸を裂かれ舌を断たれて死んだ。享年35。高宗は忠義比類なしと涙し観文殿学士・諡忠愍を贈った。金より逃げ帰った者は「遼滅亡の際の死節の士十数名に匹敵する、南朝ではただ李侍郎一人」と伝えた。臨終に詩を残した。