出自と生涯
- 葉夢得、字は少蘊。蘇州呉県の人。学を好み早くに大成し、紹聖4年(1097年)進士。婺州教授から議礼武選編修官となり、蔡京の推薦で対策を上奏し、心を治めることの重要性を説いた。
- 大観年間(1107-1110年)、蔡京再任後の法制復活に反対し、周官における太宰の権限論を用いて君主専制を諫めた。起居郎となり、朋党を戒め、人材登用の基準(徳を先とすべき)を説いた。
- 蔡京が童貫を陝西宣撫使として青唐を取らせようとした際、宦官起用の不当性を諌めたが京は貫を用いた。龍図閣直学士として汝州知事、政和5年(1115年)蔡州知事、潁昌府知事として飢民救済を行い、宦官楊戩・李彦の専横を抑えた。
- 高宗の揚州駐蹕時、翰林学士兼侍読・戸部尚書となり、「形・勢・気」による対敵策を上奏。長江防衛と重臣による総使配置を建策した。
- 尚書左丞として財政監督の一元化を求め、資政殿学士・中太一宮提挙・戸部財用専領を歴任。紹興初年、江東安撫大使兼建康府知事・六州宣撫使として建康の兵防を整備し、劉豫の侵攻を撃退した。
- 紹興8年(1138年)江東安撫制置大使兼建康府知事・行宮留守として防江八策を上奏。金の完顔宗弼(兀朮)の南侵に対し張俊を督戦させて撃退。翌年の拓皋での攻防でも江津を扼して防いだ。四路の漕運を統轄して軍需を支えた。
- 観文殿学士として福州知事兼福建安撫使となり海賊朱明の乱を平定。18年(1148年)致仕、崇信軍節度使を授かり没後検校少保を贈られた。