宋史卷四百四十一 列傳第二百 句中正

生涯

  • 句中正、字は坦然。益州華陽の人。孟昶の時代、宰相母昭裔の第に館し、昭裔の奏で崇文館校書郎、進士及第後も昭裔に仕えた。帰宋後、曹州録事参軍・汜水令・潞州録事参軍を歴任。字学に精しく古文篆隷行草すべてに巧みだった。
  • 太平興国二年、八体書を献じ太宗に召されて著作佐郎直史館、篇韻の詳定を命じられた。四年、張洎に副して高麗への加恩使を務め帰還後左賛善大夫、著作郎に改まり徐鉉と『説文』を重校して印刷頒布し、太宗の質問に応じて有声無字の文字一巻を献じた(太宗自らも21字を得たという)。
  • 著作佐郎呉鉉・大理寺丞楊文挙とともに『雍熙広韻』を撰定、面謁して緋魚を賜り太常博士を加えられた。書は百巻で成り虞部員外郎を拝命。淳化元年、直昭文館、屯田郎中に転じ文翰を楽しんだ。太宗の神主・諡宝の篆文を書き、大小篆八分の三体で『孝経』を石に摹して咸平三年に献上(15年を費やしたと答え真宗を感嘆させた)、金紫を賜り祕閣に蔵された。
  • 乾州で出土した古銅鼎の古文21字を杜鎬とともに考定した功もあり、五年、74歳で没した。蔵書を好み家に余財がなかった。子の希古・希仲はともに進士。蜀人には孫逢吉・林罕がおり、罕は説文20篇「林氏小説」を著し石経を蜀に刻した。