宋史卷四百四十 列傳第一百九十九 夏侯嘉正
生涯
- 夏侯嘉正、字は会之。江陵の人。太平興国中に進士に及第し、著作佐郎に至る。巴陵に使いした際、「洞庭賦」を作った。楚の南に洞庭湖があり、その雄大な様に感嘆し、神との問答という形式で洞庭の性状・四季の変化・水族・険阻の意義を論じた作である(原文は長大な賦であり、水の性が方円柔剛に偏らぬ自然の道理、四時による姿の変化、治乱の興亡は険阻に頼るものではなく仁義に基づくべきことなどを説く)。徐鉉はこれを見て「玄虚の流」と評し、世に広く伝わった。
- 端拱初、太宗が召試して右正言直史館兼直祕閣に抜擢、緋魚を賜った。元夕、太宗が乾元門で観灯した際に五言十韻詩を献じ、末句に自らの昇進への期待を詠んだため、識者はこれを進取を好む性向の表れと評した。
- まもなく病を得て、益王生辰使として得た金幣を換金して帰る途中、銭の緡が独りでに地から立ち上がって倒れる怪異があったといい、その後病が篤くなり月余りで37歳で没した。子の紓は太子中舎に至った。