宋史卷四百三十三 列傳第一百九十二 洪興祖

洪興祖

  • 字は慶善、鎮江丹陽の人。少にして『中庸』を読み性命の理を悟った。政和上舎第、湖州士曹、宣教郎。高宗が揚州にあった頃、選人改秩・軍頭司引見を経て秘書省正字、太常博士となり、人心収攬・安民・国家再造は太祖に法るべきと上疏した。
  • 紹興4年、蘇湖地震の際、駕部郎官として朝廷の紀綱の失を論じる上疏をし時宰に憎まれ主管太平観。知広徳軍で水利工事によりため池600余所を新設し、学舎を新築して十哲曾子以下71人・先儒左丘明以下26人の従祀の制を定めた。提点江東刑獄、知真州では兵禍による疲弊を見て租税免除を2年連続で請い許され、流民が復業して墾田7万余畝に至った。知饒州(夢占の逸話が伝わる)。
  • 秦檜が国政を握る時代、諫官が多く檜に阿るなか、興祖は故人の程瑀の『論語解』序の語が怨望に渉るとして編管昭州に処され、66歳で卒。翌年官を復し直敷文閣が贈られた。好古博学で一日として書を離れず、『老荘本旨』『周易通義』『繋辞要旨』『右文』『孝経序賛』『離騒』『楚辞考異』を著した。