宋史卷四百三十二 列傳第一百九十一 周堯卿

周堯卿

  • 字は子俞、道州永明の人。警悟強記、学行をもって天聖2年進士、連衡二州司理参軍・桂州司録・知高安寧化二県を歴任。提点刑獄楊紘が刑を受けながら田を耘る民に理由を尋ねると「貧のため利を欺いたが、令が私を欺かないのだから怨みはない」と答え、紘はこれを聞いて周堯卿を推薦した。通判饒州、太常博士。范仲淹が師表となる人材と推薦したが用いられぬうちに慶暦5年卒、51歳。
  • 12歳で父を喪って成人のように哀しみつつ母を気遣って情を抑えた逸話、母の死には3年間薪席に臥し肉食せず、葬儀の際に慈烏が墓に土を運んだという孝感の逸話が伝わる。兄弟には篤く友愛し、人には慢を受けても厚礼で恥じ入らせる寛さがあった。学問は伝注に偏らず問答思索を重んじ、毛鄭の詩・左氏の春秋に長じ、詩は孔子の「思無邪」・孟子の「意を以て志を逆う」を旨として毛伝・鄭箋の得失を論じ、春秋は左氏の記述の詳しさを重んじつつ三伝の異同にも囚われなかった。荘子・孟子についても「理を窮めるに至らぬ荘子」「己の性を尽くすに至らぬ孟子」と論じた。詩・春秋説各30巻、文集20巻を著し、7子の名(詵・諷・諲・説・誼ほか)が伝わる。