宋史卷四百三十二 列傳第一百九十一 劉羲叟

劉羲叟

  • 字は仲更、澤州晋城の人。欧陽修が河東で使した際にその学術を推薦、大理評事試権趙州軍事判官。算術に精通し大衍暦にも通じ、唐史修纂で律暦・天文・五行志を専修し編修官、母の喪で家居中も編修を続け、崇文院検討に擢されたが謝を果たさぬうちに背中に疽を発し卒した。
  • 強記多識で星暦術数に長じ、皇祐5年の日食を予言的中させ、胡瑗の鋳造した鐘の音が鬱して発しないことや陝西の大銭鋳造を「害金の再興」と占って天子の心腹の疾を予言(果たして仁宗は不予となった)、月が太微に入った際は後宮の喪と占い(張貴妃の薨去)、至和元年の日食からは契丹主宗真の死を予言し、いずれも的中したという。自らの死期も予告し、父の墓の傍に自ら墓地を選び、妻にそのことを語った。『十三代史志』『劉氏輯歴』『春秋災異』諸書を著す。