宋史卷四百二十八 列傳第一百八十七 張繹

傭役から立志した篤学の士

  • 張繹、字は思叔、河南寿安の人。家は甚だ微しく、年長じてなお学を知らず市で傭力していたが、邑官の伝呼の声を聞いて心に慕い、人に「どうしてこの人はこうなれたのか」と問うと「読書によってこうなった」と言われ、すぐに発憤して力学し文名を挙げ、郷里で計偕(挙人)に預かった。しかし科挙の習いを為すに足らないと考え、かつて僧舎に遊び僧の道楷が祝髪しようとするのに従おうとしたとき、周行己が官として河南にいてこれを警め「なぜ聖人の学を舎てて仏を学ぶのか、後日程先生が帰れば師とすべきだ」と言った。程頤が涪より還るに及びすぐに徃って受業し、頤はその頴悟を賞した。孟子の「志士は溝壑にあることを忘れず、勇士はその元(頭)を喪うことを忘れず」を読んで慨然として得るところがあるようであったが、未だ仕えぬうちに卒した。頤はかつて「私は晩年に二士を得た、繹と尹焞である」と言った。