宋史卷四百二十五 列傳第一百八十四 潘牥

経歴と忠諫

  • 潘牥、字は庭堅。福州閩の人。端平二年(1235年)策進士。対策で「陛下が父母に代わり寵愛を豪奴悍婢の恩私に注げば、父母が怒らないでいられようか」と述べ、また「陛下の手足への愛が生前の栄光死後の哀しみに及ばないのは、一門の内で骨肉が親睦せず僮僕にまで軽んじられ隣里にも侮られるのと同じである」と説き、東海の恩を厚くし淮南の土を分けて人和を招くべきと論じた。当時の対策者は数百人いたが庭堅の語がもっとも直截であった。
  • 殿中侍御史蒋峴が方大琮・劉克莊・王邁の異論を弾劾した際、牥も同姓というだけで逆賊と誣告され漢法で論ずべきとされた。鎮南軍節度推官、衢州推官、浙西提挙常平司、太学正を経て、旬日で通判潭州に出され、日食に応詔上封事し、熙寧初元の日食で詔郡県が骸骨を掩埋した故事を挙げ、王一抔の浅土すら暴骸に等しいとして王禮での改葬を求め、丞相游似に書を送り重ねて訴えた。似はこれを善しとし登用しようとしたが牥は卒した。