宋史卷四百二十 列傳第一百七十九 蔡抗

蔡抗(字仲節)

  • 処士蔡元定の孫。紹定二年(1229年)進士、のち尚書刑工部架閣文字を差し主管、館職試験に召され秘書省正字に転じ校書郎に昇進し枢密院編修官を兼ね、諸王宮大小学教授に転じ、権姦は再び用いるべきでなく国本は早く定めるべきと疏言、帝はこれを善とした。枢密院編修官兼権屯田郎官に転じ著作佐郎兼侍右郎官に昇進兼枢密院編修官、まもなく国史院編修官実録検討官を兼ね、江東提点刑獄に直秘閣を加え、特に尚書司封員外郎を授かり直宝章閣に進みまもなく宝謨閣を加え浙東に移り国子司業兼資善堂賛読兼玉牒所検討官として召され時暫兼侍立修注官、宗正少卿兼国子司業を拝命し直龍図閣に進み隆興府知事、国子祭酒試兼侍立修注官、太常少卿を拝命しなお資善堂翊善を兼ね、権工部侍郎兼国史院編修官実録院検討官、工部侍郎に転じ時暫兼礼部侍郎兼権吏部尚書、端明殿学士・同簽書枢密院事を加え、同提挙編修経武要略を兼ね同知枢密院事、参知政事を拝命、落職して祠禄、起居郎林存の請により削竄が加えられ、一年を経ずして端明殿学士に復し洞霄宮提挙、致仕を願い一官転任の上本官職守にて致仕、死去、諡は文簡、のち祖先の諱に触れるため文粛に改められた。