宋史卷四百十六 列傳第一百七十五 曹叔遠

若年と地方官

  • 曹叔遠は字を器逺、温州瑞安の人。陳傅良に学び、紹熙元年(1190年)進士に及第。李璧の推薦で国子学録となったが韓侂胄の不興を買い涪州通判に左遷された。遂寧知事として、総領所の搾取に反乱を起こした兵卒莫簡が「これは江南の良吏だ」と暴力を控えたという。工部郎、袁州知事、太常少卿、権礼部侍郎を歴任し、有益な献策を多く行った。徽猷閣待制を以て終え、諡は文肅。永嘉の系譜を編纂し史才を評された。子の咸・角・孫・邰はいずれも進士に及第した。

曹豳――若年と学官

  • 族子の曹豳は字を西士、若くして銭文子に学び、嘉泰2年(1202年)進士に及第。安吉州教授、重慶府司法参軍を歴任し、太守度正に推薦されたが「章司録の母が老いているので先にすべき」と辞退。建昌県知事、秘書丞兼倉部郎官を経て浙西提挙常平として和糴の弊害を陳べ、虎丘書院を建て尹焞を祀った。浙東提点刑獄では寒食に囚人を帰省させ期限内に戻らせた。

曹豳――言官としての活動

  • 左司諫として王万・郭磊卿・徐清叟とともに直言をもって知られ「嘉熙四諫」と称された。太子擁立の建言や余天錫・李鳴復の過失を論じ、時の意向に逆らって起居郎に転じた。礼部侍郎の任には固辞し古詩を進めて規正を尽くした。福州知事、侍郎に召されたが台臣の反対で就任できず、宝章閣待制を以て致仕、諡は文恭。子の愉老も進士に及第した。